「やりがい」について

自戒をこめつつ書く。

マズローの欲求階層によると、何かにつけ私たちは「承認」や「自己実現」を欲しているのだろう。

だから、自分に何か良くないことが降りかかったとき、それは「意味のあること」と考えたがるし、自分が何かをするなら「意味のあることをしたい」と願うのだろう。

でも、それは煩悩だろう。

自分にとっての意味付けと関係なく、起こることは起こるし、やらないといけないことはある。

なぜこんなことを書いているかというと、仕事にやりがいを求める、という当たり前そうなことについて、僕は自分自身そういう感覚を捨てきれないけれども、それは違うとも思っているからだ。

仕事が反社会的なことでなければ、結局は社会のために為している、と言える。そこにやりがいを感じる、といえばそうなるだろう。

ただ、人間は論理で動いているように見えて、全然そうではない。理屈ではそうでも、感覚ではそう感じられないこともある。

だから、「これまで一番やりがいのあった仕事はなに?」という質問に対して、どことなく違和感を感じるのだ。逆に、「あなたのこれまでの人生で、やりがいのあったことはなに?」と聞き返したい。

即答する人もいるだろうけど、そういう人とは人生観が違う、としか言いようがない。

やたらと意味を求めすぎず、流れ流され、なぜだか生きている、という感覚を大事にしたいと思う。

(実はこの記事は、友人のエントリに触発されつつ書いたのだけど、「やりがい」と「達成感」という言葉の違いがあったので、TBはかけなかった。まあ似たような意味だよね、きっと。)
 

Slavonic Spirit / Romain Leleu

先日タワレコで発見したCD。

トランペットとピアノで、スラヴ圏の(?)曲をやっているアルバム。

曲調はちょっと哀愁をおびたものが多く、雨の日にはまさにうってつけ。
(熊蜂の飛行だけちょっと違うかも?)

吹いている Romain Leleu はこういう曲に大変あうような、軽すぎず重すぎず、絶妙のコントロールで聞かせる。1983年生まれのようだから、吹き込み時で25歳くらい。今後が楽しみなプレイヤーと感じる。
(輸入盤なので、解説を読み違えてたら年齢も違うかも。でも若い人には違いない。)
 
ベーメのトランペット協奏曲 作品18と、ヘーネのスラヴ幻想曲はコンラディン・グロートのアルバム「SALON MUSIK」とも共通している。聞き比べるのもなかなか面白い。

問題は今のところAmazonで入手できないこと。

コンラディン・グロートのアルバムはAmazonにある(しかし写真がない)のだけど、こちらもオススメ。同じくトランペットとピアノだけのアルバムで、さすがグロート!と聞き惚れること請け合い。こちらはリンクを貼ってます。

ところで、Romain Leleuは、YamahaのChicago Artist Modelを使っているそうだ。僕と同じだ。
(輸入盤には結構使っている楽器が書いてあるような気がする。)

同じ楽器を使いながらこうも違うものか、という気もするけど、トランペットはわりと安価なので、プロと同じ楽器を使えるのがいいところだ、とも言える。

 

音楽をするということ

ちょっと前の週末、久しぶりに所属団体の練習に参加した。

楽器を吹くこと自体数ヶ月ぶりだし、しかもこの頃は一年に何回吹いているか、数えられるくらいしかやっていない。

合奏ではぜーんぜん吹けないところ(コラ)や、体力が落ちているとはっきり分かって嫌だなあ、と思うところもあったけど、吹いていて楽しいと思うところもまた多かった。

音楽というのは本当に広くて深い、すばらしい世界だなと思う。

「言語・文字を使う」ことや「社会性」ということを「ヒトらしさ」とするなら、「譜面を読んで、楽器を吹いて、皆と合わせる」という行為は最高にヒトらしい振る舞いなのではなかろうか。

そして、音楽を通じて知り合った友人知人は本当にかけがえのないものだ(結婚相手そのものが楽器つながりだし)。みんな本当にありがとう。

なんとか次の演奏会には、みんなに加わりたい。今の僕では力になれるということも無いけれど、せめて迷惑にならないようにはなりたい。

特にパートリーダーをお任せしっぱなしのUさんには本当に感謝してます。

音楽でつながっているみなさん、これからもよろしくお願いします。

「月のかぐや」

「雲ひとつ無い晴天」というが、月には大気が無いので、そんなものではない。 関東平野くらいの範囲を眺めつつも、視界を妨げるものは何も無い。はっきりと地形が見える。そして、影が暗い。薄暗いのではなく、真っ黒で見えないのだ。大気がなく、光の散乱が少ないためだろう。こんな景色は、地球では絶対に見ることができない。 面白い話も盛りだくさんで、本当に値打ちのある本だ。

無添加の「さらさ」

マーケティング巧者P&Gが、洗濯洗剤「さらさ」の無添加ぶりをさかんにアピールしている。
ちょっと気になって成分表示を見てみたが…なんのことはない、れっきとした合成洗剤である。「LAS」と書いているが、直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩って書けよなあ。
ま、漂白剤や蛍光剤が入っていないということで、色柄物には(毎度白く染める洗剤よりは)いいかもしれない。そういう意味では「アタックNeo」も同等だ。
こういう、無添加をアピールするやり方は、無知に付け込む商法だと思う。
そういう添加物(薬品?)が気になるのなら、もう水と石鹸で洗うしかないだろう。石鹸も成分を見たら怖くて使えないかもしれない。
ちなみに水道水には「塩素」が添加(笑)されている。これは漂白剤と一緒なのだ。だから、水道の水は一日置いといて塩素が飛んでから使わないとダメだね、なんてことになっちゃうな。

PerlでJPEGのEXIFを取得してファイルを整理する

気づけば2月も半ばになり、新年とは言えない時期になってしまった。今年最初のネタはプログラマらしい話から。

僕はデジカメのファイルを溜め込みがち。ときどき意を決して、デジカメからファイルを全部パソコンに転送して、エクスプローラでEXIFをみながら、日付とイベントで名前をつけたフォルダを作ってその中に移動して整理する。

# 「溜め込むなよ」とか「もっとましなツール使え」とか言われそう

この間もSDカードが一杯になったので整理をしていて、ふと「この作業ってプログラム向きだね」と考えてしまった。

というわけで、久々の日曜プログラマ。

CPANを探せば、EXIFをとってくるようなものがきっとあるだろうと思って探すと、いくつかありそう。今回はImage-ExifToolを使うことにした。Windows環境なので、ActivePerlを使って実装。

僕のカメラ(Canon PowerShot G7)だと「CreateDate」という属性に撮影日が入ってたので、それを使うことにした。EXIFの取り決めとかはあんまり興味ないので調べなかった。許して。

JPEGファイルを並べたフォルダ内で実行すると「YYYY-MM-DD」というフォルダを作ってその中にファイルを移動するように実装してみた。

実行環境やカメラによってはうまく動かないかも。なのでAS-ISということで。うっかりファイルが消えたりしても責任とれません。

use strict;
use Image::ExifTool;
use File::Copy;
# ExifToolの用意
my $exif_tool = new Image::ExifTool;
my @file = glob('*.jpg');
for my $file (@file) {
# exif情報の取得
my $exif_info = $exif_tool->ImageInfo($file);
my $create_date = $exif_info->{'DateTimeOriginal'};
# 日付情報の切り出し
if ( $create_date =~ /(\d+):(\d+):(\d+)/ ) {
my $year  = $1;
my $month = $2;
my $day   = $3;
# ディレクトリの作成と移動
my $dir_name = "$year$month$day";
mkdir($dir_name);
move($file, $dir_name);
print "$file is moved.\n";
} else {
print "$file is NOT moved.\n";
}
}

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Config::GeneralでUTF-8のファイルを読み込む方法

僕はPerlで設定ファイルなどを扱うのにConfig::Generalをよく使う。もっと良いものがあるのかもしれないが、特に難しいところもなく、直感的に使えるので気に入っている。
ところが、設定ファイル中に日本語(UTF-8)があると、期待通りに動作をしてくれないことに気がついた。文字によっては化けたりするのだ。今まで困らなかったのが不思議なくらいだが、これまで設定ファイルに日本語を埋めたことがなかったのだろう。
この現象を回避するには、Config::Generalを初期化するときに、-UTF8オプションを渡してあげれば良い。
例えば、こんな感じ(たぶん)。

my $conf = Config::General->new(-ConfigFile => ‘xxx.conf’, -UTF8 => 1);
my %config = $conf->getall;

ところが、少し古いConfig::Generalにはこの-UTF8オプションがない。例えばDebian 4.0の標準パッケージがそうなのだ。
しかたがないので、ファイルの中身をいったん読み込んで、読み込んだ内容をConfig::Generalに渡すことにした。これならうまく動いてくれる。

open(CONF, ‘xxx.conf’);
my $buf;
while (<CONF>) {
$buf .= $_;
}
close(CONF);
my $conf = Config::General->new(-String => $buf);
my %config = $conf->getall;

もっといい方法がありそうだと思いつつも、それほど時間がないし、わりとどうでもいいツールだし、なので動けばいいやということで妥協しつつ、備忘録をかねてエントリにしておいた。
ちなみに、呼び出す側のPerlスクリプトもUTF-8で書くことと、以下の記述を入れておくことを忘れずに。

use utf8;
binmode STDOUT, “:utf8”;
use open IN => “:utf8”;

Perl世界のことはまだよく分からないので、添削・批評など大歓迎です。

読書熱

読書熱が高まっている。
通勤時間が長くなったことと、引越し後の収集がようやくついてきたこともあって、このところ割と本を買っている。
数えてみると、今月に入ってから買った本はすでに10冊ある。さらに定期購読の雑誌が7、8冊届く。積ん読していた雑誌のバックナンバーなども読んでいるので、割とハイペースで読み続けている。
しかし本を読みっぱなしというのも、inputばかりで非常にバランスの悪いことのように感じる。なんだか頭の中にモヤモヤとしたものを感じるのだ。
ときどきはノートをつけるなり、感想文を書くなりのoutputが必要なのだろう。頭の整理にもなるだろうし、自分の経験と著者の主張を重ねたり離したりすることで、いっそう重層的な読み方ができるようになるかもしれない。
さらに、昔は一度読めばどの辺にどんなことが書いてあったか意識できていた。必要になれば本棚から必要な本を取り出して調べられたのだ。ところがこの頃それができなくなりつつある。
たんなる記憶力の弱まりといえばその通りかもしれないけれど、昔できていたことができなくなるのは少々悲しい。これからは、内容の良い本については、何が書いてあるかくらいのメモは残しておきたい。
そういうわけで、少しずつ、読書のしかたを変えていくようにしたい。

午前I試験免除にお気をつけあれ

先日は春の情報処理技術者試験に行ってきた。
今年「も」システム監査にて受験。昨年の秋試験ではシステムアナリストに合格したので、今回は初めての「午前I試験免除」となった。朝早く行かなくて済むのは非常に助かる。
会場は立命館大の衣笠キャンパス。建物が立派すぎず、ぼろすぎず、これぞ大学、という雰囲気で良い印象を受けた。また、日曜にもかかわらず、図書館で集中している学生さんもおられる。なかなか熱心ですねえ。
大学生活が非常に長かったこともあって、こういう場所にいるだけで、なんだか心が落ち着く。やっぱり会社員から学生に戻りたいな。なんとか大義名分が立たないかな。
大変いい陽気のお昼過ぎだったこともあり、半ばぼーっとしつつ席に着く。ここで受験票をちらっと見て、やっと気づいた。
「午前IIとは何だ」
マニアの人はご存じだろうけども、この春からの新試験では、上位区分の午前試験は「午前I」と「午前II」に分かれたようなのだ。「午前I免除」を「午前免除」と空目していた私は午後から参加したのだけども、「午前II」は受けないとダメだった。完全なポカだ。というわけで、午後試験を受ける前に敗退決定。。。
昔と違って問題もすぐPDFで手に入るし、ここにいる意味もないかと思い、残念ながら速攻退散。僕は何をしに京都まで行ったんだ。。。
受験票をまじめに読めばあり得ないミスだけど、この試験を何度も受けて慣れていた油断がかえって裏目に出たようだ。
そういうわけで、「午前I試験免除」にはお気をつけあれ。

引越し

ふたたび引越した。
今後は何もない限りしばらく定住する予定。
これまで駅徒歩25分(以上?)だったけど、これからは徒歩4、5分になる。スーパーもコンビニも近くなって、涙が出るほど便利になった。あ、最寄り駅はかわらず堅田です。