「やりがい」について

自戒をこめつつ書く。

マズローの欲求階層によると、何かにつけ私たちは「承認」や「自己実現」を欲しているのだろう。

だから、自分に何か良くないことが降りかかったとき、それは「意味のあること」と考えたがるし、自分が何かをするなら「意味のあることをしたい」と願うのだろう。

でも、それは煩悩だろう。

自分にとっての意味付けと関係なく、起こることは起こるし、やらないといけないことはある。

なぜこんなことを書いているかというと、仕事にやりがいを求める、という当たり前そうなことについて、僕は自分自身そういう感覚を捨てきれないけれども、それは違うとも思っているからだ。

仕事が反社会的なことでなければ、結局は社会のために為している、と言える。そこにやりがいを感じる、といえばそうなるだろう。

ただ、人間は論理で動いているように見えて、全然そうではない。理屈ではそうでも、感覚ではそう感じられないこともある。

だから、「これまで一番やりがいのあった仕事はなに?」という質問に対して、どことなく違和感を感じるのだ。逆に、「あなたのこれまでの人生で、やりがいのあったことはなに?」と聞き返したい。

即答する人もいるだろうけど、そういう人とは人生観が違う、としか言いようがない。

やたらと意味を求めすぎず、流れ流され、なぜだか生きている、という感覚を大事にしたいと思う。

(実はこの記事は、友人のエントリに触発されつつ書いたのだけど、「やりがい」と「達成感」という言葉の違いがあったので、TBはかけなかった。まあ似たような意味だよね、きっと。)
 

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